就活のグループディスカッションの気持ち悪さを言語化する

こんにちは、脱走兵です。

今回は就活におけるグループディスカッションの気持ち悪さを言語化していきます。

 

グループディスカッションといえば、就活の選考フローにおいて割と序盤に登場することが多いステップです。インターン選考・本選考問わず登場してきますが、インターン選考に多いイメージです。


よくあるのは以下のような形式です。

・就活生4人~6人程度のグループでディスカッションを行う

・お題は「社会人に必要な能力はなにか?」のような抽象的な問いが多い

・就活生がグループで20分程度話した後、最後に5分程度で社員に対して発表を行う

・最後に社員からの模範解答の発表やフィードバックがある場合もある


就活をしていくと一度はこんな感じのグループディスカッションに遭遇することがあると思います。そして、それを経験した人の中には何とも言えない不快感を感じたことがあるかもしれません。

 

気持ち悪いポイント1. 結局、声の大きい人間の意見になる

 

15分~20分程度グループディスカッションをした後、最後に議論した内容を社員に発表するわけですが、その内容は声の大きい人が最初に出した意見に毛が生えた程度のものでしかない、ということはよくあることです。

 

その原因として、ディスカッションの制限時間の短さが挙げられます。議論できる時間が短い中で発表できる形までもっていかないといけないので、とにかく形にすることが何より優先されます。すると、ありがちなのが結論ありきで議論を進めていくという方法です。なぜなら、厳しい時間制約の中でもっともらしい意見を出すためにはその方が手っ取り早いからです。そして、グループディスカッションは声の大きい人が進めていくことが多いですから、必然的に声の大きい人が最初に出した意見をベースに議論が進むことも多いです。となると、2つの問題が生じます。

 

1つめは、声の大きい人の能力にグループディスカッションの難易度、ひいては選考の通過可能性が左右されるという点です。声の大きい人がそれなりに賢く、的を射た意見を最初に出せる場合は良いでしょう。なぜなら、結論ありきで議論が進んだとしても土台となる意見がそこそこ良ければ発表内容も一定以上のクオリティになるからです。一方、声の大きい人が無能で、的外れな意見を出した場合はグループディスカッションの難易度が跳ね上がります。当然、周りのメンバーがうまく修正できるかどうかがカギとなりますが、得てして声の大きい人は主導権を握りたがり、自分の意見に従うように立ち回るケースが多いので、他のメンバーが修正するチャンスは必然的に限られます。


2つめの問題点は、議論が形骸化してしまうことです。議論において重要なのは、各人が意見が出し合い、修正を加えていくことで最終的にはより精緻な意見を作り上げることだと私は考えています。しかし、先に述べた通り、結論ありきで話が進んでしまうのでグループの意見が磨かれる機会は奪われてしまいます。また、グループディスカッションで出る意見は大抵あたり障りのないものであり、わざわざ議論しなくても少し考えれば出てくるようなものに仕上がってしまうこともままあります。つまり、結論ありきで進むこと+当たり障りのない意見という2つの点で議論が形骸化してしまうということです。

 

もっとも、精緻な意見を出すためにはそれなりに時間をかける必要があるので、厳しい時間制約の中では就活生が結論ありきで話を進めてしまうのも致し方ない部分もあると考えられます。あるいは、議論を通して面白くクリティカルな意見を出すことよりも、もっともらしい意見を出すことがミッションだと就活生自身が捉えているのかもしれません。であれば、就活生はできることを最大限やっているという点で悪いとはいえないのかもしれません。むしろ、この点については企業サイドに問題があると考えられます(後述)。


気持ち悪いポイント2. グループディスカッションをやる意味があるのか不明

ここでは選考基準がブラックボックスなのはある程度しかたないと考えます。それはグループディスカッションに限った話ではないのでここでは考えないことにします。ここで問題にしたいのは、グループディスカッションが選考としての機能を果たしているのか、という点です。

 

まず、厳しい時間制約の中で議論という形で選考すること自体がナンセンスです。先に述べた通り、議論によってより良い意見を出すためにはそれなりの時間がかかるはずです。実際の会議でも15分や20分で意見を0から出し切るということはないのではないのでしょうか。その点で企業が行う形式のグループディスカッションは選考として何を見ているのかよくわからないところです。

 

ただ、議論の質よりも、どのような役回りで議論を進めるかを見ているという可能性はあります。これには就活生のパーソナリティが集団の中でどのように発揮されるか企業サイドがイメージするという側面があります。事前の性格診断とどの程度一致しているかを見ているという説もあるようです。しかし、グループディスカッションでの立ち回りは周りとの相性によって変わるでしょうから、必ずしも性格診断と合致する立ち回りをするわけではないはずです。また、グループディスカッション用に「仕上がっている」学生は多くいるのでその点でも企業が学生のパーソナリティを見抜くのは難しいことでしょう。

 

あるいは、企業としても精緻な意見を出すための議論を厳しい時間制約で選考するのはナンセンスとわかっていて、そんなことよりももっともらしい意見を出せるかどうかに選考基準を置いているのかもしれません。しかし、その能力の高さで選考したところで企業の利益になるのでしょうか。確かに、もっともらしい意見を出せる力は忖度まみれの現場では必要なのかもしれませんが、企業にとって本当に利益になるのは、当たり障りのないもっともらしい意見を出す能力ではないはずです。将来のために現状を実際に好転させるためのクリティカルな意見を出せる能力を必要としているはずです。

 

とはいえ、明らかに支離滅裂なことばかり言う人はグループディスカッションで振るい落とせるかもしれません。その点ではグループディスカッションを選考ステップに入れることに一定の合理性があると言えます。しかし、同じグループ内に議論を妨げるようないわゆる「クラッシャー」がいた場合、採用側は「このグループはうまく議論ができていないな」と判断し、まともな人もまとめて落としてしまうという不条理も起こりえます。支離滅裂なことを言う人を振るいにかけるのであれば、一次面接あたりで十分なのではないでしょうか。グループ単位で人を見た結果、クラッシャーのせいでまともな人を取り逃してしまうリスクがあるグループディスカッションをあえて使う理由はないのではないでしょうか。

 

 

以上が、グループディスカッションについて気持ち悪いと感じた部分です。他に論点があれば追記します。